日本の家紋の歴史

平安時代公家社会に起こり、
武家社会に発生した紋様が、日本の紋章として
今に伝わっています。

平安時代の貴族たちが好みの文様を牛車に描きました。

11世紀の前半(平安時代)ごろ、貴族たちが参賀、退下(たいげ)、物見の際に使用した牛車(ぎっしゃ)に他の牛車と間違うことのないように好みの紋様を描きました。
それは目印としてはもちろん、持ち主の個人の優雅さをしめすものでもありました。
始めはその人個人の好みの紋様を用いて、その人一代限りのものでしたが、公家社会になって、家職も家格も世襲的に定着するようになって、父祖の好んだものを子孫が踏襲するようになり、代々その家の紋章としてうけつがれていくようになりました。

武家の紋章。

武家の紋章は、もともとは戦いのための軍旗そのものであり、大将の本営を示す陣幕の紋章でした。
室町時代後半になると、日常の衣服や什器にも紋章をつけて家を識別する習俗が成熟していきました。徳川の時代になると家格を識別するしるしとしての役割をになうようになります。

江戸時代の太平の世の中になりますと、武家以外の一般のひとびとにも普及。将軍家や領主の紋意外は自由に使うことができるようになって、家系や家格という意味からはなれて、衣服や調度の装飾としても使用されるようになりました。

武家の間でも、公式の場合に用いる正式の紋(定紋・正紋)以外に非公式の場合に用いる替紋(裏紋・別紋・控紋)をもつことが盛んになりました。

魅力ある文様として、現代でも図形としても高い評価をうけています。

昭和になって戦後、家族制度の廃止によって、また礼服も洋式のものに変わって、家の紋章に対する人々の意識は、薄れて来ていますが、魅力ある紋様として装飾にも使われ、いろんな場面で目にすることができます。
日本の紋は身近にあるもの、花木、自然など非常に多くのものを、素材としています。
また着物の模様、工芸品、調度品の模様にも同じ図形が多くみられます。
日本の文様として、多くの人に大事にされてきものといえると思います。
日本の紋の種類